ある日ふと、道ばたの雑草を見ながら、こんなことを思ったんです。
雑草って、一度その場所に根を張ったら、もうそこからは動けないんだよな。
当然といえば当然なんですが、動けないって、すごいことです。どんなに日当たりが悪くても、雨風がきつくても、その土地に生まれたからには、そこで生きるしかない。だからこそ、雑草たちはその場所で根を深く張って、たくましく育とうとするんですね。
これって、人間にも通じるところがあるんじゃないかと思ったんです。
「どこで生きるか」という選択
人間は歩けます。引っ越せます。転職だってできます。でも、「自分はどこに身を置くか」という選択には、実はとても大きな意味がある。
環境は、人の性格を作ります。 出会う人が変われば、話す言葉も変わる。 周囲の雰囲気に馴染もうとするうちに、自分の言葉や考え方が少しずつ変わっていくことだってある。
私たちもある意味、雑草と同じです。 どこに根を張るかによって、咲かせる花も変わるのかもしれません。
一人称って、なんなんだろう?
ここで、ふと思ったのが「一人称」の話。
日本語って、一人称がめちゃくちゃ多い。「俺」「僕」「私」「うち」「わい」「自分」…。どれもニュアンスが微妙に違う。言葉ひとつで、強さや柔らかさ、距離感や自己像まで変わってくる。
私自身、文章では「私」って書いてるけど、日常会話では「自分」って言ってます。だけど時々、「俺」って言ってみたくなるときもあるんです。ちょっとカッコつけたいときとか、自分を強く持ちたいときとか。そういうとき、「俺」って言ってみると、少しだけ気持ちが変わったりする。
でもそれって、嘘ついてるわけじゃなくて、「こうなりたい自分」に近づこうとしてるのかもしれません。
一人称は、こころの鏡
一人称って、心の中の感情を、外に映し出す鏡みたいな存在だと思います。
今の自分にしっくりくる言葉を選ぶこと。 でも、変わりたい自分がいるなら、あえて違う一人称を使ってみるのもアリ。
「俺」って言ってみたら、ちょっと堂々と話せた。 「僕」って言ってみたら、優しくなれた気がした。
そんなふうにして、言葉をきっかけに、少しずつ自分の輪郭を作っていく。 一人称って、自分を縁取る大切な線なのかもしれません。
雑草と人間、共通点は「根を張る」こと
雑草は動けないからこそ、根を張る。 人間は動けるからこそ、どこに根を張るかを選ばないといけない。
そして、自分の一人称というのは、根を張るための「道具」なのかもしれません。
今いる環境にしっくりくる一人称。 これから目指す環境にふさわしい一人称。 言葉の選び方ひとつで、自分の気持ちも、立ち方も、少しずつ変わっていく。
そんなふうに思ったんです。
最後に――悩んでるあなたへ
一人称が定まらない。 どこに自分を置けばいいのかわからない。 そんなふうに悩んでいる人、案外多いと思います。実際、ネットでもよく見かけますし、私もその一人です。
でも、きっとそれでいいんだと思います。
一人称に迷うということは、それだけ「自分」をちゃんと見つめているということだから。
いつか、「これが自分だ」と思える言葉に出会えるかもしれないし、出会えなくても、ふわふわとしながら、そのときの気持ちに寄り添った言葉を選んでいけばいい。
雑草のように、環境に合わせて変化しながら、でもしっかりと根を張って、生きていけばいいんです。
この記事が、ちょっとでも誰かの支えになれたら嬉しいです。
自分自身を含めて。
コメント